昭和 | 39年 | 県下にあった2組合と1企業を大合同合併し、県下一円の事業協同組合として発足、創立集会を開催。設立認可登記完了。 |
40年 | 労働保険事務組合を設立。石炭の共同購入を開始。 | |
41年 | 越前瓦の重油焼成試験を始める。 | |
42年 | 中小企業共済事業団に加盟、事業主退職金制度発足。組合事務所移転。 | |
43年 | 組合事務所用地の取得(90坪)。 | |
46年 | 越前瓦の棚積み焼成試験 成功。 | |
48年 | 災害共済制度を発足。 | |
50年 | 倉庫用地の購入(46坪)倉庫建設。 | |
54年 | 粘土瓦産地診断 実施。 | |
57年 | 活路開拓調査事業 開始。優良事業協同組合表彰(中央会)。 | |
58年 | 県下窯業関係を集大成し「福井県窯業誌」を刊行。 | |
59年 | 後継者育成の一環として福井県瓦工業(協)青年部発足。活路開拓実現化事業を実施。 | |
60年 | 越前瓦の組合設立90周年特別事業開催。 | |
61年 | 「瓦だより」を毎月発刊、教育、情報の徹底を図る。 | |
62年 | 「瓦渡来1400年」記念大会(東京)に参加。越前瓦のPRに努める。 現理事長河原信勇氏、5等瑞宝章を受章。 |
|
63年 | 建設業登録。 | |
平成 | 元年 | 近畿通商産業局長 受賞。 |
2年 | 原油高、金利高傾向は月毎に加速し、特に重油価格は昨年比2倍もの高騰となり、燃費消費型である。瓦業界はきびしい経営を迫られた。 | |
3年 | 中東湾岸戦争をはじめ、ソ連の解体、バブルの破綻に伴い、金融不祥事が相次いで発覚金融引き締めで急速に景気が減退した。 | |
4年 | バブル崩壊で、大企業の倒産、個人消費の低迷で一変して不況へと転落、新築需要の落ち込みにも拘わらず、災害復旧やリフォーム需要でかなり改善された。 | |
5年 | 皇太子殿下の御成婚、未曾有の冷夏にも拘わらず、景気の谷間ともいうべきか、 越前瓦の需要が伸びて大忙しの1年であった。 | |
6年 | 産官学一体となって開発した越前燿変面状タイルが福井県の代表的建造物、サンドーム福井に採用され県産品の良さが見直され内外より注目を集めた。 | |
7年 | 阪神・淡路大震災を教訓に耐震工法マニュアルについて、福井県屋根工事標準仕様書の制定。 | |
8年 | 地域産業起業化支援事業(国・県)の認可を受け、透水セラブリックの開発、越前陶建材総合カタログの作成、97建築建材展の参加(東京ビックサイト)等。 | |
9年 | 前半期は消費税ひきあげによる駆け込み需要を追い風に需要が拡大、トンネル窯も1段窯にシフトして設備更新で合理化を図った。 | |
10年 | 7月理事長角斉氏急逝、生前の功績が認められ、従六位勲五等瑞宝章に叙せられる。 新谷孝雄氏が理事長に就任する。 |
|
11年 | 中小企業協同組合施行50周年に当り、中小企業庁長官表彰を受ける。 | |
12年 | 情報化の進展に伴い、ホームページを開設する。 建築家黒川記章氏設計による福井県立恐竜博物館(勝山市)に越前耀変面状タイルが採用される。 |
|
13年 | 地域に根ざした越前瓦をアピールするため、テレビ、ラジオCMを放送開始する。 | |
14年 | デフレ傾向で低迷する建設業界にあり、お盆過ぎには在庫が払い底となり品不足の状況が続く。 | |
15年 | 福井県地域特産工業振興対策事業で産業廃棄物である廃瓦の有効利用と併せて新商品の開発を促進する。 | |
16年 | 組合事務所老朽化のため、組合倉庫跡地に新事務所を建設、4月1日オープンする。(現在地 福井市文京6丁目7-3) 青年部発足20周年を記念し、事務所前に鬼瓦モニュメントを設置する。 |
|
17年 | 中小企業活路開拓調査・実現化事業(全国中小企業団体中央会の補助事業)として、福井大学、福井県工業技術センターとの産官学連携による、越前瓦の機能を生かした洋風瓦の開発に取り組み完成させる。 | |
|
19年 | 「越前瓦」が地域ブランドとして登録される。 |
21年 |
北海道函館市五稜郭内「箱館奉行所庁舎」屋根瓦工事が完成。 中小企業協同組合法施工60周年経済産業大臣表彰受賞。 |
|
23年 |
舞鶴赤レンガ倉庫に屋根瓦を納入する |
|
25年 | 組合設立50周年記念式典を開催する。 |